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    <title>歴史ファンの大航海時代DB</title>
    <link>http://meke.biz/</link>
    <description>歴史ファンで扱った歴史記事のまとめサイトです。</description>
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    <category>Weblog</category>
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      <title>歴史ファンの大航海時代DB</title>
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    <item>
 <title>★大航海時代以前の食文化</title>
 <link>http://meke.biz/?itemid=99</link>
<description><![CDATA[中世の時代、いったいどんな料理が食べられていたのでしょうか？<br />
大航海時代以前ですと現在のヨーロッパ料理に欠かせない食材の内、トマト・じゃがいも・トウモロコシ・トウガラシ・カボチャ等が無いので今とは大分異なっています。<br />
フランスを例に取ってみると庶民にとって親しみ深い野菜といえばソラ豆やレンズ豆といった豆類とキャベツ・ポロネギ・カブ・キノコなどが食べられていました。<br />
また、肉だと豚に牛・羊や豚が食べられ、沿岸部だと鰯や鱒・鯉などに人気がありました。<br />
飲み物ではビールにエール・シードルが香辛料だとニンニクや地元のハーブが主に食べられています。<br />
<br />
ゲーム内の料理だと「きのこのバターソテー」「そら豆のスープ」「魚介のグリル」「鶏丸焼きニンニク詰め」「子羊のロースト」、このあたりは地域差がありますがヨーロッパに古くから広まっていた料理の一部にあたります。あたりまえですが、庶民だと東方の高価な食材が使えないのでレパートリーが少ないです。あとは鍋一つでできる簡単な料理が好まれていましたというのも特徴です。<br />
<br />
その一方で権力者や富裕層だと大量の香辛料に砂糖、牛や豚から雉や孔雀、イルカにいたるまでありとあらゆる種類の肉が集められ、メロンやザクロといった遠方の食材まで取り寄せられることがありました。<br />
飲み物ではワインが好まれ、時には香辛料を加えたワインが飲まれることもありました。<br />
富の表れとして高価な食材が好まれたのは今も昔も変わらないのですが、中世では独特の文化背景により料理の価値が決められていました。<br />
<br />
■キリスト教の影響<br />
中世においてキリスト教は食習慣にも大きな影響を与え<br />
時代や地域にもよりますが四旬節や祝日前は断食日（精進日）として、肉や乳製品の摂取が禁止されているほどです。<br />
更に宗教観から食材の1つ1つにまでランク付けしています。<br />
食材を地earth＜水water＜大気air＜火fireの4大要素にわけ、どれだけ天に近いか、つまり創造の上位に位置するかによってランクが決まりました<br />
これによると地に埋まって育つニンニクやカブ・ネギは低く木になるブドウやリンゴ・イチジクなどは高くなります。<br />
また地をはう豚や羊は低く水に関わる魚やガチョウは真ん中に、空を高く飛ぶ鳥ほど高くランクづけられました。<br />
ワインや果物・鳥料理が権力者や富裕層の料理となったのはこのためです。<br />
<br />
■アラブの影響<br />
もう1つ重要なのはアラブ医学をベースにしたヨーロッパ中世医学に根ざした食事への概念です。<br />
それは人体(自然な物)に食事や飲み物(自然でない物)といった外部の要素を取り入れて、病気(自然でない物)を防いだり治そうというものとなります。<br />
人体は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁からなる4種の体液が持つ、熱い・冷たい・湿った・乾いたーの4要素のバランスによって<br />
その人の性質や体調を現すと考えました。<br />
そして食事や飲み物も熱い・冷たい・湿った・乾いたーの4要素ごとに、ランク付けし料理の組み合わせや食べる人によって調整していたのです。<br />
この概念により最も熱いとランク付けされた胡椒や生姜などの香辛料は薬としても希少性を増しました。<br />
<br />
ルネサンスと大航海時代の到来まではこのような食事が一般的で、アメリカからの新しい食材や東方から安定した香辛料の供給が可能となり、現在のイタリア料理とかフランス料理に繋がっていきました。<br />
<br />
この記事は原書房の中世ヨーロッパ 食の生活史から抜粋しました。<br />
こんなイメージをもって遊ぶと回復量のひくい料理になんとなく愛着が湧くかも知れません。<br />
<br />
この投稿<b>はある冒険者様</b>にいただいたものです。ご投稿ありがとうございました。<br />
]]></description>
 <category><!--07-->歴史雑学</category>
<comments>http://meke.biz/?itemid=99</comments>
 <pubDate>Sun, 30 Dec 2007 18:58:54 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>同盟制度の歴史的見解</title>
 <link>http://meke.biz/?itemid=97</link>
<description><![CDATA[まずは、公式ホームページの<a href="http://www.gamecity.ne.jp/dol/fight/vote.htm">同盟制度</a>についてみていただきたい。同盟投票制度 <br />
これを見ると、ネーデルラントはイスパニア、フランスはイングランド、ヴェネチアはポルトガルと同盟不可になっております。 <br />
ひとつひとつ見てみましょう。 <br />
<br />
●ネーデルラント <br />
宗主国であるイスパニアと独立運動中で不可とある。<a href="http://meke.biz/index.php?itemid=37&amp;catid=1">オランダの独立</a>を参照にすると、16世紀末ではあるが、確かにイスパニアとは敵対関係で、イングランドとは同盟関係にあったので、これは正しい。この後は、イングランドと英蘭戦争するので、イングランドとは敵対関係になる。 <br />
<br />
●フランス <br />
百年戦争から続く敵対関係とある。<a href="http://meke.biz/index.php?itemid=18&amp;catid=1">フランスの歴史</a>を参照にすると、確かにイングランドと百年戦争をしていて、敵対関係にある。1558年にカレーがイングランドからフランス領地になっているなど多少の小競り合いはあるものの、フランスがこの時代最も敵対したのは、スペイン・オーストリア両ハプスブルク家であったので、歴史的に一番敵対していた国となると、イスパニアとなる。 <br />
<br />
●ヴェネチア <br />
ポルトガルと敵対関係にあったとなっているが、通商で敵対したとするならば、イングランド・ネーデルラント・ポルトガルと敵対しなければならなくなる。 <br />
ポルトガルの側から、新3国を見てみると、最も敵対していたのはネーデルラントである。ネーデルラントはポルトガルの通商地域をそっくりいただいたのであるから・・・・。 <br />
では、ヴェネチアが敵対した国とはどこだろう？ <br />
それは、オスマントルコである。東地中海の利権でオスマントルコとはかなりもめていたようだ。 <br />
<br />
とまあ、ゲームバランスを考えた敵対関係なのでしょうが・・・。ヴェネチアとポルトガルはいくらなんでも・・・・。 <br />
歴史に照らしてやるというならば・・・・・・ <br />
■イスパニア→ネーデルラント・フランス・イングランド・ポルトガル <br />
■イングランド→イスパニア <br />
■ポルトガル→ネーデルラント・イスパニア <br />
■ヴェネチア→オスマントルコ <br />
■オスマントルコ→フランスを除く全部 <br />
とまあ、こういう感じになりますね・・・これじゃあ・・えらいことになりますねえ・・・。]]></description>
 <category><!--07-->歴史雑学</category>
<comments>http://meke.biz/?itemid=97</comments>
 <pubDate>Sun, 30 Dec 2007 18:57:28 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>ピタゴラスとシュメール</title>
 <link>http://meke.biz/?itemid=96</link>
<description><![CDATA[<h3>ピタゴラスの真実</h3><br />
オーパーツネタがみなさんの興味をひいているようですので、今回は、その流れとしてピタゴラスの定理で有名な、ピタゴラスを語ってみたいと思います。 <br />
<br />
●実は怪しい人だったピタゴラス <br />
「直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺の二乗に等しい」というのがピタゴラスの定理であるが、この定理は、前6世紀の数学者ピタゴラスが発見されたといわれている。 <br />
だが、有名な作家ヘロドトスは、エジプト人はこの定理を使って、ピラミッドを築き、無名の大工たちも家を建てている。と記している。どうやら、この定理はエジプトではすでに普及していたものらしい。 <br />
ピタゴラスが発見したとされる定理は、ピタゴラスのものではなかったという説が有力だが、では一体彼はどんな人物だったのだろうか？ <br />
ピタゴラスは、小アジアのサモス島に生まれ、イタリア南部のギリシア人植民地クロトネに移住した。 <br />
そして彼は、この地で小さな秘密教団を組織して、弟子たちに自らをアポロ神としてあがめさせた。 <br />
教団では清廉・沈黙・菜食の規律を徹底させたが、「右足から歩きだすべきでない」「テーブルから落ちたものを拾うな」といった妖しい戒律もあった。彼らは、幾何学と数学に通じ、秘密のサインで互いにコミュニケーションをはかった。 <br />
教祖ピタゴラスは、世界を理解する鍵は数学であると説き、彼は若くして学問の旅に出て、ブリタニア（イングランド）、メソポタミア、エジプトなどを行脚した。 <br />
ブリタニアではドルイド僧アバリスから神秘的な魔法を学び、エジプトでは高等魔術を学び、さまざまな奇跡を行った。病人には癒しを与え、未来を予測し、天候をコントロールできた。 <br />
そんな彼を人々は、高等魔術師と呼ぶのだった・・・・。 <br />
とまあ、妄想の激しい妖しいカルトの教祖であったようだ・・。きっとピタゴラスの定理も、エジプトで学んだものを自分で発見したかのように振る舞ったに違いない。 <br />
<br />
さて、ピタゴラスのお話で、この定理は、エジプトでは普及していると述べました。しかし、エジプトのオリジナルではなかったのです。さて、次回はそのへんを語ってみます。 <br />
<br />
<h3>全ての文明はシュメールにはじまる</h3><br />
ピタゴラスの定理は、ピタゴラスが生まれる前からエジプトでは使われていたというお話を前回いたしました。 <br />
しかし、この定理、エジプトで開発されたものではなかったのです。 <br />
この定理を発見したのは、文明の開化者シュメール人だったのです。 <br />
<br />
●シュメール人の数学 <br />
シュメール人は前4000年ごろメソポタミアに移住し、前3000年ごろにはギルガメッシュ叙事詩で有名なウルクやウル、ラガシュなどの史上最古の都市文明を築き上げた。 <br />
彼らは、楔形文字や車輪などを発明したのだが、詳しくは当ブログでいくつか記事があるので、検索窓もしくはＤＢのほうで興味ある方は見てみて欲しい。 <br />
さて、この優れたシュメール人の間ではエジプトでピラミッドが作られる以前に、この定理を使って神殿を構築していた。 <br />
このことで、この定理は、シュメールからエジプトへ伝播したと想像できる。 <br />
考古学者サミュエルの言葉に「文明はシュメールで始まる」という言葉があるが、あらゆる文明はエジプトより先にシュメールで発見されていたのである。 <br />
■円周率 <br />
ピタゴラスの定理以外の例として、円周率を出してみよう。この円周率は、前3世紀アルキメデスが算出したとされているが、実は、アルキメデスが生まれる2000年以上も前に、エジプトではピラミッドを作るために円周率を使っていたのだ。しかし、これより以前に、シュメールの祭司や書記たちはとっくに、円周率を計算しつくしていた。 <br />
工芸品、文字、幾何学などあらゆる文明は、シュメール人を発端としていると言っても過言ではないのだが、なにか納得がいかない・・。 <br />
いろいろな文明が交じり合って優れたものだけが残っていくのなら話はわかるのだが、シュメールだけとなると話は変わる。彼らは、彼ら以前のすぐれた文明からいろんなことを学んだのではなかろうか？？？ <br />
それこそオーパーツにつながる文明から・・・。 ]]></description>
 <category><!--07-->歴史雑学</category>
<comments>http://meke.biz/?itemid=96</comments>
 <pubDate>Sun, 30 Dec 2007 18:53:52 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>古代インドの核戦争</title>
 <link>http://meke.biz/?itemid=95</link>
<description><![CDATA[その１<br />
少し、コメントで話題にのぼったことをまとめてみます。オーパーツの中でもとびぬけて現実離れしているもののひとつに、マハーバーラタに記載された核戦争の記述です。これに関しては、くまエルフ様のほうが詳しいとは思いますが、つたない説明で申し訳ありませんが語ってみます。 <br />
<br />
●マハーバーラタ <br />
紀元前10世紀ごろ、インドで大規模な戦争が起きた、叙事詩「マハーバーラタ」には英雄アシュヴァッターマン（かみそう・・）の活躍を描き、空飛ぶ戦車ヴィタマから「神すら抵抗しがたいアグネアの武器を発射した」とある。 <br />
その内容は、兵士たちは燃える木のようにばたばたと倒れ、巨大ゾウたちも焼かれ、悲鳴を上げて倒れた。死体はひどく焼け焦げて見分けがつかず、髪や爪は抜け落ち、空の鳥たちも一瞬で灰になった。 <br />
食料までもが、毒に犯され、三つの都市の住民はみんな死んでしまった。 <br />
その原文はこんな感じである。 <br />
そのせつな、ピカっと光った鋭い閃光に目がくらみ、周囲は毒ガスのような黄色のさんざんた煙に覆われた。その光は、太陽が一万個集まったほどの明るさで、煙と火が絡み合った光輝く柱がそそり立った。 <br />
それは未知の武器、鉄の石矢、死の巨大な使者であった。こうして、都市の住民は灰と化した。 <br />
まさに地獄のような光景が描かれている。 <br />
<br />
その２<br />
前回はマハーバーラタの叙事詩についてみてみました。今回はその痕跡について見てみます。 <br />
<br />
●戦争の痕跡？ <br />
インド大陸の南西を流れるインダス川流域のモヘンジョダロ遺跡に戦争の痕跡らしきものが発見されている。 <br />
モヘンジョダロ遺跡の一部には住民が近づきたがらない「ガラスになった街」という場所があり、その場所は、地表も岩盤も黒くガラス状に変化した石でびっしり覆われている。 <br />
それは砂が高熱によって溶けてトリニタイトという物質に化学変化したもので、アメリカのネバタ核実験場でみられるものと同じだという。 <br />
また、発掘された遺体はどれも埋葬されておらず、井戸端や路上で放置されたままであった。これは明らかに戦災のありさまを証明するものだが、ある学者は、これこそ核爆弾が炸裂した痕跡だと唱えている。 <br />
さらに驚いたことに、モヘンジョダロ遺跡やデカン高原の南部の遺跡からは、高熱によってガラス状になった家具調度品とともに、放射能で汚染された古代人の遺骸が発掘されている。 <br />
その遺骸からは、通常の50倍もの放射能が計測されている・・・・・。 <br />
この謎は深まるばかりだが、真偽のほどは定かではない・・・あるいは本当に核爆弾の跡なのだろうか・・・・。 <br />
<br />
モヘンジョダロを発見した際には、こういう話もあったんだなあとたまには思い出してあげてください。こういうロマンを想像すると興奮するのはわたしだけでしょうか？ <br />
]]></description>
 <category><!--07-->歴史雑学</category>
<comments>http://meke.biz/?itemid=95</comments>
 <pubDate>Sun, 30 Dec 2007 18:52:39 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>チャーチワードとオーパーツ</title>
 <link>http://meke.biz/?itemid=94</link>
<description><![CDATA[さて、オーパーツ（時代にそぐわない文明品）をうさんくさくしてしまった、最大の功労者？チャーチワード氏について今回は語ってみたいとおもいます。 <br />
<br />
●チャーチワード古文書を発見する <br />
1868年、インド中部が大飢饉に見舞われ、当時宗主国であったイギリスは、治安維持と貧民救済のための特殊部隊を派遣したが、その隊長がジェームズ・チャーチワード陸軍大佐であった。 <br />
チャーチワードは良く働き、貧民を救ったために現地人の信頼もたかかったという。 <br />
ある日仕事が終ったあとに、彼はヒンドゥー教の老僧から失われた「ムー大陸」の事を聞いた。 <br />
ヒンドゥー教寺院の地下の穴蔵に謎の大陸について書かれた粘土板聖典があり、そこには「世界で最も古い人間」の言葉がしるされているというのだ！ <br />
しかしながら、老僧もこの聖典は公開されていないため見たことがないという（見たことないのに、内容がわかるのか・・・・）。 <br />
その話に大変興味を持ったチャーチワードは、懇願すること6ヶ月。ついに聖典を公開してもらうことに成功する。 <br />
<br />
●聖典の内容 <br />
その聖典は、見たことのない古代文字で書かれていたが、二年後にようやく解読に成功。 <br />
聖典は、ムー大陸からインドにやってきた使徒「ナカアル」が記した歴史書であったという・・・・（どうやって解読したんだろう・・・） <br />
また、聖典は人間の誕生についてこう記している。 <br />
「人は約5000万年前、ムー大陸に誕生した。われらはその母の国からやってきた者たちである」 <br />
<br />
●チャーチワードのムー大陸 <br />
インドの古文書解読後、チャーチワードは50年間さまざまな国を放浪し、ムー大陸の存在を確信する。 <br />
ムー大陸は南太平洋に存在し、北がハワイ諸島、南はタヒチやポナペ、東はイースター島、西はマリアナ群島に達する巨大な大陸である。 <br />
東西8000キロ、南北5000キロという広大な陸地の中央部に位置する首都ヒラニブラにはラ・ムーと呼ばれる王が君臨し、宇宙創造神である七頭の蛇をあがめていた。 <br />
人口は約640万人といわれていて、高度な文明をほこっていた。 <br />
アステカには、進んだ農業や治金技術を伝えている。 <br />
この進んだ文明を持つムー大陸は約1億2000万年前に突然大地震が起こって海没してしまった。 <br />
<br />
とまあ、うさんくさい話ですが・・・チャーチワードの研究のため、オーパーツはますます疑わしいもの、うさんくさいものになってしまったと思います。<br />
]]></description>
 <category><!--07-->歴史雑学</category>
<comments>http://meke.biz/?itemid=94</comments>
 <pubDate>Sun, 30 Dec 2007 18:52:14 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>未来都市アレクサンドリア</title>
 <link>http://meke.biz/?itemid=93</link>
<description><![CDATA[<a href="http://oceans.blog12.fc2.com/">ジーニアス河井氏</a>が見捨ててしまったアレクサンドリア。しかし！そんなアレクサンドリアに新事実が・・。古代ローマの時代、アレクサンドリアは未来都市だったのです！今回はこの未来都市アレクサンドリアを見てみましょう。 <br />
<br />
●未来都市アレクサンドリア <br />
前2世紀アレクサンドリアに工房を持つギリシア人発明家クテシピオスは、押し上げポンプや水力オルガンを発明し、水時計を改良するなど有名な発明家であった。 <br />
当時のアレクサンドリアは大都会で、狭い街に家が立ち並び、ひとたび火災になれば大災害であった。 <br />
そこで、押し上げポンプを開発したクテシピオスは、その技術を利用して、ポンプ車を作り上げたのだ。水圧によって高いところまで消化ができるポンプ車によって、アレクサンドリアの火災災害は被害を最小限に抑えることができるようになった。 <br />
また、ヨーロッパで消化ポンプが発明されるのは16世紀になってからである。おそるべし未来都市アレクサンドリア。 <br />
次に、クテシピオスの弟子の機械学者へロンは数学や物理学にも優れていて、機械工学の専門書を書いた。その中には、蒸気を利用した2シリンダーのジェット・タービン（蒸気機関）のことについても記載されている。 <br />
ヘロンはこの蒸気機関を利用して、さまざまなハイテク商品を開発している。 <br />
例えばこのようなものを・・・ <br />
■寺院の重いドアを自動的に開閉させる装置（自動ドア） <br />
■神像の手足を動かすカラクリ <br />
■機械じかけで歌う鳥、幕の上げ下ろしのできる人形芝居 <br />
■聖水の自動販売機（コインを入れると自動的に聖水が流れる装置） <br />
■エレベーター（考案されたが、奴隷で上げ下げするほうが安いのですたれた） <br />
これらの発明を見る限り、ヘロンは、蒸気エネルギーによる生産工場の建設も可能であるが、当時は奴隷の労働力が格安だったので、蒸気エネルギーが利用されることなく（見世物として以外）、廃れていくのだった。このヘロンの蒸気エネルギーは、どのような商品も時代のニーズがなければ廃れてしまう典型であるといえよう。 <br />
また、イギリスのジェームズ・ワットが蒸気機関を発明したのが18世紀で、ヘロンの発明はワットよりも1900年も前のことであった。 <br />
<br />
おそるべしハイテク都市アレクサンドリア！蒸気機関まであるとは、まさに未来都市。<br />
]]></description>
 <category><!--07-->歴史雑学</category>
<comments>http://meke.biz/?itemid=93</comments>
 <pubDate>Sun, 30 Dec 2007 18:51:49 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>古代の電池とメッキ法</title>
 <link>http://meke.biz/?itemid=92</link>
<description><![CDATA[<a href="http://kumada.exblog.jp/">くまエルフ様</a>のコメントを見て、少し、大航海時代と離れているものかもしれませんが、オーパーツ（時代にそぐわない文明をもった工芸品）の一つとして、電池と電気メッキというものがあります。 <br />
<br />
●パルティア遺跡で謎の壷が発見 <br />
1936年ドイツ人技師ケーニッヒがイラクのバグダット市役所と水道工事の契約を結んだ。彼は、土壌調査のため、土を掘っていたところ、約1700年前のパルティアの遺跡から妙な壷を掘り当てた。 <br />
高さ15センチの粘土製の壷の中には、高さ12センチ、直径2.6センチの銅の円筒が入っていて、円筒の口はアスファルトで栓がなされ密封されていて、封の中央には酸で腐敗した鉄の棒がつるされていた。 <br />
鉄・銅・酸、この３つは、ケーニッヒの記憶の中にあるものとよく似ている・・・・そう電池に・・。 <br />
また、古代バビロニアのセレウキアの廃墟でも、同じような粘土容器が発見されている。 <br />
この話を聞いた、ＧＥ社の高圧研究所のグレイ技師は、ケーニッヒの発見した壷にいたく興味をひかれ、彼の発見したものと同じ壷を複製し、電池になるかどうかの実験をしてみる。 <br />
彼は、消えてしまった未知の触媒液の代わりに、2000年前から知られている硫酸銅・酢酸・クエン酸などの溶液で壷を満たしてみた・・・・。 <br />
すると、模型の壷は見事作動し、1.5〜2ボルトの電気が発生したのだ！ <br />
やはり、この壷は電池だったのだ！ <br />
アラビア半島では、前2000年の古代バビロニア人が金メッキをした多くの装飾品が発見され、どうしてこのように薄く均質にメッキができたのか大きな謎とされてきた。 <br />
グレイ技師の発見によって、この電池こそまさに、金属メッキ装置であったことを証明したのである。 <br />
余談ではあるが、ヨーロッパで電気メッキ法が発明されたのが、18世紀、実用化されたのは19世紀である・・。 <br />
<br />
古代メソポタミアのおそるべき技術には世界中の学者が仰天したそうです、また、3世紀の中国の遺跡からアルミニウムが発見されたりと世界中にオーパーツが広がっています。]]></description>
 <category><!--07-->歴史雑学</category>
<comments>http://meke.biz/?itemid=92</comments>
 <pubDate>Sun, 30 Dec 2007 18:51:01 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>ピリー・レイスの地図の謎</title>
 <link>http://meke.biz/?itemid=91</link>
<description><![CDATA[1929年にイスタンブールのトプカプ宮殿で二枚の古地図が発見されたときに、一躍有名になったのが、ピリー提督（提督は現地の言葉でレイスという）でした。この地図には、当時発見されていなかった地理が描かれている不思議な地図でした。今回はこの地図についてみてみましょう。 <br />
<br />
●ピリー・レイス <br />
ピリー・イブン・ハジ・ムハメット（1470-1554）は、1501年対イスパニア海戦に出征し、捕虜の一人から珍しい古地図をもらった。その捕虜はかつてコロンブスの航海に3度参加しており、地図はコロンブスが使用したものと同じ写本だと語った。 <br />
ピリー・レイスはこの28枚の古地図を元に「海の書」という世界地図を作成した。 <br />
<br />
●ピリーの地図とは？ <br />
この地図は1513年3月-4月にかけて作成されていて、驚くべきことに、地図には北アメリカの一部、南アメリカの東半分と南端部、それに加え、南極大陸らしき外郭線が描かれていた。 <br />
ヨーロッパの誰もが、まだ南アメリカ大陸に足を踏み入れたことない時代に描かれたものなのだが、大西洋に注ぐベネズエラのオリノコ河、アマゾン川、ウルグアイ川らしい河川が描き込まれていたのだ！ <br />
さらに、1528年に作成された地図には、グリーンランド・ニューファンドランド・ラブラトル・カナダ・北アメリカのフロリダまでの海岸線がはっきりと描かれていたのだ。 <br />
時代背景はどうかというと、1492年にコロンブスが西インド諸島を発見したのだが、まだその地がインド西部と言われていた時代で、アメリカの語源になったアメリゴ・ヴェスプッチも、マゼランもまだ内陸部まで調査しておらず、彼らの地図はまだまったくの白紙であったという。 <br />
<br />
●地図の謎 <br />
ピリー・レイスが作成の元にしたのは、28枚の古地図かららしいのだが、この古地図のうち8枚はなんと、紀元前のアレクサンドロス大王の時代に描かれた人間居住区を示す地図らしいのだった。 <br />
ここに描かれた南極大陸の海岸線は、実際の南極大陸の海岸線に酷似している。さらに、南極大陸が発見されたのは1818年のことなので、ピリーはそれより300年も前に南極大陸の地図を描いたことになる。 <br />
また、アレクサンドロス時期に描かれた地図を見ると、古代の地図製作者は、地球が球状であることを熟知し、緯度をもちいたまた球面三角法による投影図法で地図を描いていた。この技術は近代まで知られていない高度な技術だったのだ。 <br />
<br />
この謎の古地図はみればみるほど、不思議な地図ですが、本当のところこれが何なのかはわかっていないのが実情のようです。このように付し語な地図をゲーム上で発見できる日を楽しみにしています。 <br />
<br />
]]></description>
 <category><!--07-->歴史雑学</category>
<comments>http://meke.biz/?itemid=91</comments>
 <pubDate>Sun, 30 Dec 2007 18:50:14 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>ロゼッタストーン</title>
 <link>http://meke.biz/?itemid=90</link>
<description><![CDATA[文字の話題が出ているのでついでに、かの有名なロゼッタストーンについても見ておきます。これも発見物のひとつとして出てくるのですが、発見されたのは18世紀末のことでした。 <br />
<br />
●ロゼッタストーン発見 <br />
1798年、フランス王ナポレオンは数千の軍隊を率いてエジプトに侵攻する。かねてから古代エジプト文明に魅かれていたナポレオンは、古代文明の遺跡をできるだけ正確に記録させるために、200人ほどの学者で構成した学術調査隊も率いていた。 <br />
エジプトに侵攻してから１年がたったころ、ナポレオンはナイル川のデルタ地帯に位置するロゼッタという町に要塞を築く。 <br />
その要塞建設の工事中に一人の兵士が、瓦礫の中に埋もれる3種類の言語が刻まれた石を発見した。 <br />
これこそがロゼッタストーンで、この発見の報告を受けた将校は、この石を保管する。 <br />
ロゼッタストーンの発見によって、未解読であった古代エジプト語（ヒエログリフ）が解読されるのである。 <br />
<br />
●ロゼッタストーンとは？ <br />
古代エジプト最後の王朝プトレマイオスエジプトの時代のもので、紀元前196年にプトレマイオス5世が出した布告を、ヒエログリフ・デモティック（この二つがエジプト語）・ギリシア語の3つの言語で同じ文字を表記した石碑のこと。 <br />
このヒエログリフは、4世紀の終わりには使われなくなり死語となる。それから月日がたつうちに、誰も読むことのできない難解な文字となってしまう。 <br />
ロゼッタストーンに刻まれた文字を元に、フランス人のシャンポリオンが解読に大いに貢献する。 <br />
シャンポリオンは革命時代のフランスで年少時代をすごし、社会混乱のため幼年学校に通うことができなかった。しかし、追放された神父にギリシア語とラテン語を個人指導してもらっていた。 <br />
なんと、9際のときにはギリシア・ラテン語のホメロスやヴェルキリウスの文が読めたという。 <br />
その後、シャンポリオンはアルファベットを基礎にし、古代エジプト語を継承したコブト語を習得するうちに、古代エジプト語に強くひかれはじめる。 <br />
そんななか発掘されたのがロゼッタストーンであった。彼は古代エジプト語にかける情熱を注ぎ込み、刻まれたギリシア語を元にして、「クレオパトラ」「プトレマイオス」の王名に含まれるヒエログリフの表音文字の特定に成功したのであった。 <br />
<br />
■クエスト　古代エジプト語の研究 <br />
難易度　星6 <br />
探索4　考古学6 <br />
発見物　ロゼッタストーン <br />
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現実には19世紀に入ってから解読された古代エジプト語ですが、ゲームではすでに読めます！ <br />
当時の人が夢見てもかなわなかった、古代エジプト語の書物を見ながらﾆﾔﾆﾔしてみるのもまた一興ではないでしょうか？ <br />
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 <category><!--07-->歴史雑学</category>
<comments>http://meke.biz/?itemid=90</comments>
 <pubDate>Sun, 30 Dec 2007 18:49:44 +0900</pubDate>
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 <title>ＮＥＴＨＥＲＬＡＮＤってなんて読むの？</title>
 <link>http://meke.biz/?itemid=89</link>
<description><![CDATA[ネーデルラントなのかネーデルランドなのか・・表記って微妙に違います。今回は大航海時代オンラインにおける表記について語ってみたいとおもいます。 <br />
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●Netherland <br />
アルファベットで表記すると、Netherlandなわけです。オランダ語の発音について書かれたサイトがありますので、まずはこちらを<a href="http://www.h4.dion.ne.jp/~room4me/dutch/pron.htm">オランダ人の発音</a> <br />
これによると <br />
◆d [d] <br />
語末では無声音の [t] となる． <br />
と書いてます。ということは、現地読みだと「ト」が正しいようです。 <br />
では、「ド」はどこからきたんでしょう。 <br />
それは、英語です。<a href="http://www.kt.rim.or.jp/~s_aoki/english/text2pron/">英語を学ぼうテキスト変換</a> <br />
これによると、ネザーランドとなります。 <br />
ネーデルランドじゃないですよねこれ・・・。 <br />
んじゃネーデルランドってどこからきたんでしょう。それは、イングランドをイギリスと読む、日本語からです。 <br />
日本語ではネーデルランド語と表記していたのです。 <br />
しかしながら、日本では一般的にオランダといいますよね。このネーデルランドと一般的に発音するのは、韓国だそうです。 <br />
とまあ、こんな感じで結論としては、日本で、Netherlandを読むときにはネーデルランドと読むのです。 <br />
一般的に、歴史書物は、日本では現地読みですので、歴史ファンでもネーデルラントと表記しているわけです。大航海時代オンラインは一般表記を採用しているぽいので、ネーデルランドなわけです。 <br />
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イスタンブールやオポルトなどもそれにしたがって、「わかりやすく」「耳になじんだ」表記としてこうなったのでしょう。 <br />
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 <category><!--07-->歴史雑学</category>
<comments>http://meke.biz/?itemid=89</comments>
 <pubDate>Sun, 30 Dec 2007 18:49:23 +0900</pubDate>
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